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昔、映画のカメラマンだった。
もう20年前の話である。
そのカメラマン時代。
師匠によく言われた撮影の心得のひとつに
「四隅だけ見ていろ」というのがあった。
ファインダーから見える映像の四隅。
その四隅に出物、ハレ物がないか、
そして、被写体は中央にキチン納まっているのか?
それは本当にくどいくらいに言われ続けた。
その言葉を今、趣味でランニング時にデジカメで撮影する時に
いつも思い出す。
さて、それで我が敬愛する上村先生の格言のごとく
フレームの真ん中に被写体を納めてみる。
先生に言われたことを忠実に行うと、こういう写真になる。

・・・しかし、これって何を写しているのだろう?
当然、そこある祠と地蔵なのだが、
この画像の写しているモノは「在る」ということだ。
そこにただ「在る」イヤ、写真だから「在った」ということだろう。
先日、娘の小学校の卒業式に出席した。
自分がこういった商売をしているからか?
実に校長や教育委員会のお偉いさん、
そしてPTA会長、や町長などが祝辞を述べるのだが、
それがどれも詰まらない。
面白くないのだ。
それは型どおりの話だからである。
その型から何一つ出ていない。
キレイに納まっているからだ。
しかも、どいつもこいつも同じコトを言う。
同じ型。 (フレーム)
同じ内容。(被写体)
「夢を持って中学校生活を望んで欲しい」
まるで
ダメな会社の広告を見ているようだ。
当たり前の言葉が当たり前のフレームにキレイに納まっている。
じゃぁどうするのか?
同じ写真を別の型(フレーム)で撮影する。
それがこれだ。

縦位置にしておもいきりカメラを上に向け空を入れてみた。
構図としてはあまり美しくないかもしれない。
しかし、これを美しいと感じるかどうかは
この空の「意味」。その定義である。
この上空に広がる空間を「空」という意味でとらえるか?
それとも単なるスペースとしてとらえるかで、
この型(フレーム)の見え方も変わる。
当然、私は「空」という意味でこの構図を採用した。
撮影したい被写体は祠でも地蔵でもない「空」である。
この写真において「空」が主役である。
そう言うとあなたもこの写真の見え方が変わってこないか?
それは「空」が意味を持ち、「空」としてそこに在るのだが、
その「意味」を鑑賞者である観る側は「わからない」というからだ。
この「わからなさ」を残すことで、
鑑賞者はその「空」の向こうにある意味を模索する。
「この「空」はなんだ」と。
もっとわかりやすい写真がこれだ。

明らかに「空」を撮影することを目的としている。
そにて露出をアンダー気味にし、
ちょっと重苦しく、重圧感を持たせた空である。
この「空」はこの写真における「瑕疵」である。
「瑕疵」とは裂け目という意味である。
その裂け目はこの写し出された写真の世界から別の世界へ向けて
開いている。
その「瑕疵」を作ることが、写真の深みとなる。
それが被写体の向こう側を撮るということになるのではないか?
たまたま、事例は「空」
しかし、その「瑕疵」はまったく別のモノからもその世界の向こう側
その入口として開くことは出来る。
タイムマシンとしての「瑕疵」
「考えるコンサル」
「写真とは私たちのイマジネーションへの入口である」
別世界とは鑑賞者の内面である。
事実として「在った」としてでなく
その先の想像、イマジネーションの扉である。
■お疲れ様でした。
今回のブログを持って、日刊「考えるコンサル」は
会員制サイト「煽動」へ移行します。
このページはこのまま存続しますが、
2つのブログを毎日、書くほど激動な日常を送っていませんので、
この「考えるコンサル」は不定期の更新とさせて頂きます。
とりあえずここで中締めですね。
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
ちょっとデザインもリニューアルでもして、
「考えないコンサル」というコーナーで
ヨソと同じようなくだらない日記でも書きましょうか?
・・・冗談ですけど。
今井 裕志
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